「ゆとりですがなにか」は転がり落ちることを恐れないゆとりを描いている、と思ったりしたりするゆとりですがなにか
1987年生まれの「ゆとり」男女を描いた宮藤官九郎「ゆとりですがなにか」
宮藤官九郎:ゆとり世代は脅威 「自分たちには未来がない」 - 毎日新聞
全話は見ていないけど(「ゆとり扱いすんなボケ」とある種の抵抗があったことは否めない)、90年生まれの筆者はむっちゃうなずきながら見ているわけでして。
記憶は曖昧だけど、小学校では月2回は土曜授業(オジサンたちの言葉で言う「半ドン」?)はあったし、円周率は3.14で習った。
土曜日に家族3人で囲むお昼ごはん(大抵は焼きそば)のしみじみとした美味しさも知ってるし、たけしのちょっといやらしい昼の番組を父親と寝そべりながらへへっと笑っていたのも覚えている。
なのに、大抵のおっさんたちは「おお、ゆとりじゃないか。土曜日授業なかったろ、円周率は3か?」などとつっかかってくる。
その度に「わしらをゆとりにしたのはお前らじゃろうが」と毒づきたくなるが笑顔で「ゆとりですけど、なにか」と言ってきたものだ(たまにドクは声に出てしまうけど)。いつでも直球勝負でやってたら、こっちの身がすり減る。そんなもったいないことはしたくない。でもなぜだろう、私自身は「ゆとりの子」という自負がある。
さて、ドラマ。共感度で言えば「毒島〜」のほうがグサグサくるけどこれもまたしかり。
「自分が下の世代に感じてる怖さをやわらげるのに、一番便利な言葉が“ゆとり”だったんだと思います」
くどかんの言葉。そうなのかしら、そうなのだとかわいらしいものなのだけど。
実際、ゆとりとくくられるときは30代〜20代前半までの若者がくくられる。そのうえで大人は「さとり」だなんんてまた細分化してくるんだから、個性を殺したいのかなんなのか。そんなに若さが恐いのか。
というか、「ゆとり」という単語がなかったころは何でくくっていたんだろう。
類義語は「最近の若いものは」なのかしら。
わたしは日本が転がりゆく姿しか見ていない。
バブルが弾けるとほぼ同時に生まれ、消費税が導入され、リストラやらデフレなんて言葉が小学生の耳にも入るようになり、9.11で世界の不安定さを知った。
私個人は人間の成すものなんてどうせちっぽけなものだとデカい建物を作りたがる大人を見るとへどが出るし、成長なんてくそくらえだし、意識高い系を見ると白ける。
その半面、同い年で同じ事実を見てきても、経済を拡張しようと昼夜を株式をいじくる同期や、本当に成長意欲のある仲間もいる。ほんとに何かでくくろうとするのは無意味なことだ。
ただ、そんな彼らも転がり落ちることに恐れはないと思う。「落ちることを前提にして」生きてきたからだろう。
ドラマを見て、なぜか平田オリザさんの『下り割かをそろそろと下る』を思い出す。
本が手元にないので本文が引用できないれど、衰退期に入った日本をどう認めどう愛するかが論じられている。
政府は今も「需要が足りん」などと言っている。そりゃそうだ。建てるものは建てたし、人が住む場所もこれ以上ない。
上がるところまで上がったんだ。あとはするすると落ちるのを楽しもうじゃないか。そんな時代を肌で感じながら抵抗せずに受け入れられるのは、「ゆとり」なんじゃないですか、と思う。
「成長ワッショイ」の転換期を生き抜く人材をつくるために、ゆとり教育をしていたのなら、まあ、なんて先見の明があったのかしら、とも言ってあげたくもなる。
現在、国も失策と認め、ゆとり世代はもう作られなくなった。次は何でくくるのか、くくる側の人間になってしまうのかしら。
しかし、ゆとりにはゆとり教育の結果、こころのゆとりができたのだ。失敗作ではない、と信じるしかない笑
(そういえば、総合の時間なんてもんもあったけど、導入当初なんて先生も何やったらいいかわからないから、「とりあえずバスケとドッチボールどっちがいい?」なんて言ってたな。大好きな先生だしその選択は間違っていなかったけど、教育カリキュラムとしてどうなの?笑)
講談社のサイトにあったオリザさんの本の本文
「子育て中のお母さんが、昼間に、子どもを保育所に預けて
芝居や映画を観に行っても、後ろ指をさされない社会を作ること。」
「ゆとりですがなにか」と風に吹かれる柳のように生きてきたわたしらになら、できる気もしなくもない。
アンパンマングミ
アンパンマングミが好き。保育園のころから好き。
アンパンマングミ(オレンジ)がことさら好き。
いっとき、全く見なくなって、最近やっと復活してきたけれど、コンビニやスーパーではグレープにしか遭遇しない。
なんでだろ、売れなかったのかしら。
あの安っぽい、うすいオレンジが良かったのに。
グレープじゃ、あの安っぽさは出ないのに。
保育園帰りに、スーパーで母に買ってもらって、自転車の後ろの席でゆられながら食べて。
薬を飲むときにはあんなに嫌なオブラートもなぜか美味しく思えてしまう、グミの不思議な魅力(でも、やっぱりボンタンアメのオブラートは嫌い)。
家に帰ったころには、すっかりなくなって。
アンパンマンの形の氷を作ろうと、水を入れてみるけれど、器が平べったすぎてなんども溢れて、なくなってしまう。
やっと冷凍庫に入れて(入れてからも我慢できなくて固まってないのに取りだそうとしてぱりっぴちゃっとなって悲しくなる)、取り出してみても、やっぱり平べったすぎて顔も目も鼻もなにがなんだからわからない。
いいもんも悪いものも、こんなもんだなあとしみじみしたりもしてみたり。
最近は、仮面ライダーや妖怪のシリーズも出ているけれど、なんとなくアンパンマン。
あのうすいオレンジをしみじみ思い出しながら、グレープを今日も食べる。